
◆主人公
ラウ:腕のいい流れの狩人。旅をしているが、現在はリネ村の外れ、古い木造の小屋を村人たちから貸りて住んでいる。
◆はしこい相棒
ミルル:栗鼠獣人で、こども商人。ラウの周りをちょろちょろしている。とてもすばしっこい。
◆あらすじ
流れの狩人ラウは、商人のミルルと旅をしながら、春にリネ村に滞在することになった。村人たちに小屋を貸してもらう代わりに、ラウは村を獣害から守る役割を担っていた。ある日、村の南側の森で罠が壊され、見たことのない獣の目撃情報が相次ぐ。村長から調査を依頼されたラウは、ミルルを連れ、森へと足を踏み入れる。
※! ※以下の内容が含まれます※! ※
ファンタジー、バトル、狩人、冒険、残酷な描写あり
プロローグ:森の狩人
獣の匂いが、風に乗っていた。
川沿いの整備された細道を歩いていると、ふと鼻先に臭いを感じる。
乾いた草の香りに混ざって、視界の端に広がる森の暗がりから漂ってくる臭いの元の気配。
それが、ここが“生きた森”だという証拠だった。
男は、気にせず道端に腰を下ろし、背負っていた荷をゆっくりと下ろす。
巻いた革布の中には、手入れされた弓と数本の矢。
それから、今日の獲物の野兎。
「……獣がいるな。鼻が利くもんだ」
ぼそりと呟くと、荷の陰から小さな影がぬるりと顔を出した。
「へっ、獣の鼻が鈍かったら話にならないでしょ?それより、見て見て、キノコ三つも拾ったんだよ。乾かせば売れるやつ」
そう言って、誇らしげにポーチを揺らしながら、小柄な栗鼠の獣人が跳ねるように近づいてくる。
――名はミルル。
獣耳と尻尾を揺らしながら、ぎらぎらした商魂を剥き出しにする、“子ども商人”。ただし空回りすることが多い。
「乾かす前に腐らせるだろうな。キノコの保存は難しい」
「うっ、耳が痛い。でも大丈夫、こんなに晴れてるから!ほら!」
ミルルは太陽を指さす、するとにわかに雲が陽を隠しぽつりと雨粒が落ちてきた。
「さっきまではな……」
狩人は溜め息をつきながら立ち上がり、荷を担ぎ直した。幸いすぐにも止みそうな小雨で、あまり濡れる心配はないようだった。
ポーチを体の下に隠し、ひゃーひゃー声を上げる元気なミルルが眩しい。
彼は流れの狩人だった。
生業として獣を追い、肉と皮を得て、また次の場所へ移る者たち。
名前は、ラウ。
旅暮らしの狩人。どこにも属さず、どこにも帰らない。
ただ、生きるために“狩る”猟師。

この春、ラウは小さな村――リネ村の外れに腰を落ち着けることになった。
しばらく空き家になっていた古い木造の小屋を、村人たちが親切に貸してくれた。
無償ではない。
肉を分け、皮を売り、獣害から彼らを守る。それが代わりの“家賃”だ。
「村、もうすぐだね。今日のごはんは野兎のスープ? あ、でもね、ラウ。村長が呼んでるって羊飼いのおっちゃんが言ってたよ」
「……また誰か、鶏でもやられたか」
「それとも、村長の畑にウリ坊が突っ込んだとか。まぁまぁの値段で代わりに対処してあげてもいいけど?」
「それなら、まずお前を仕留める」
「ヒィ~ッ、狩られる! 」
ラウは笑わないが、口元がほんのわずかだけ緩んだ。
存外この村は居心地がよかった。近くの森は獲物が豊富で、村の中の仕事もそこそこあり頼られる。
煩わしくないといえば嘘かもしれないが、邪魔者扱いされるよりよっぽど待遇はいい。
そう思っていた矢先、最初の“厄介な依頼”が、待っていた。
第一章:村の困りごと
リネ村は、川と山に囲まれた小さな集落だ。
木造の民家が寄り添うように並び、畑の合間を子どもたちが走り抜ける。
家畜の声がのんびりと響き、風が吹くと草の海がうねった。

ラウはその村の端にある、元羊飼いの家を借りている。
玄関の近くには、勝手に置かれた“ミルルの巣”があった。
軒先に吊るした干し肉を家の梁の方へ移動させる。
「……また干していた肉、勝手に食ったな」
「えっ、な、なんのことかなぁ~?ミルルは知らないなぁ~?」
ラウの視線がじろりと動く。
机の上に座り、尾っぽをふくらませたミルルは知らないふりをした。
「……腹、壊してもしらんぞ」
「ラウの干し肉、お腹にやさしいから大丈夫だもん!」
ちょろり、机の下へ逃げ込む音がして、ラウはため息をついた。
だが、それ以上は何も言わない。
村長に呼ばれている。村の中央にある家へと向かった。
村長は、太くて短い指を机に組みながら言った。
「実はな、森の南側で、妙なことが起きておる」
「妙なこと?」
「ああ。罠が壊されていてな。それだけならよくあるが、罠を見にいった若い衆が言うにはな、“見たことのない獣が、木の上からこちらを見下ろしていた”そうだ」
ラウは黙って聞いていたが、心の奥で少しだけ引っかかるものがあった。
「で、俺に調べてほしいと」
「他の狩人ではな……少し手に余る。怪我をされたら、うちは人手が少ない」
「なるほど」
「もちろん報酬は出す。肉の買い取りとは別に。どうだ、ラウ?」
ラウは一瞬だけ考えた。
南側の森は、特に豊かな土地だった。獲物も多いがそれを狙う大物も出没する危険な場所、慎重に踏み込む必要がある。
罠が壊された、というだけなら、猪や熊に近い獣の仕業とも考えられる。
だが、“木の上からこちらを見下ろしていた”というのが気にかかった。
「……明日、罠と矢を持って踏み込む」
「感謝する。気をつけてくれよ」
家を出ると、待ち構えていたミルルがひょこっと草むらから飛び出した。
「報酬って聞いた! 今度の獲物はでかいんでしょ!? ミルルも連れてって! 分け前もちょうだい! 」
大きな瞳を輝かせて、ミルルがラウの腕を登っていく。
「……役に立った分だけだ」
「やったーーッ! お宝探すぞーーッ!」
万歳をして腕から飛び降りた。その身軽さは見ていて気持ちがいい。
「お宝じゃない。獣だ」
「獣に宝がついてるかもしれないじゃん!角とか牙とか、すごく売れるやつ!」
はしゃぐミルルにラウはまた小さくため息をついて、歩き出した。
春の森は、優しげな光と芽吹きにあふれている。
けれど、そこに潜むものは、おとなしい動物だけとは限らない。
次の狩りは、少しだけ“勘”が騒いでいた。
第二章:足跡
森の空気は、朝のうちは柔らかい。
湿った落ち葉の匂いに、細く乾いた獣の気配が混ざる。
ラウは弓を背に、罠袋を左肩にかけて歩く。
その足取りに、ためらいや無駄はない。
彼にとって“森を歩く”という行為は、人の行き交う町中よりもしっくりきた。
ミルルは木の枝から枝へ、ちょろちょろと素早く動きながらついてくる。
肩には布の鞄。中には持たされた罠と干し肉、小刀、ついさっき拾ったらしい何かの骨。
「ラウ~、さっきから黙ってるけど、なにか変な匂いでもするの?」
「……いや、ただ静かすぎる」
「春だからみんな昼寝してるんじゃない?」
「違う。“寝ている音”がない」
ラウの足が止まる。
鳥の声が、しない。
草を踏む小動物の足音も、風に揺れる枝葉のざわめきも――確かに、どこか抜け落ちていた。
森が、身を潜めている。
そんな空気だ。
狩り場の南側に近づく。
そこはもともと、鹿や猪の通り道がいくつも交差する重要な狩猟地帯だった。
だが、獣道の途中、明らかに“大きな何か”が通った跡がある。
細い木が折れ、蹴り飛ばされた土くれと地面に深く沈んだ足跡。
「……これは」
ラウがしゃがみ込み、足跡を観察する。
蹄でも、鳥の爪でもない。
肉球に近く、しかし異常に大きい。そして――
「獲物を追ってるな」
「獲物?」
「……獲物を追いやすい道を選んでいる」
ミルルの耳がピクリと動く。
「ま、まさか……食べる気まんまん系のヤツ?」
「可能性はあるな。肉食は確定だ」
さらに奥へ進むと、一本の木の根元で、罠の跡が見つかった。
がっちりとしたワイヤーの締め罠。それが――ねじ切るように壊されている。
「馬鹿力みたいだな」
「こわ……ッ!やばいのじゃん!これやばいのじゃん!」
ミルルは木の上にぴょんと飛び乗り、耳をぴくぴくさせながら周囲を見渡す。
「しかも、ここ……血の匂いする」
「……ああ。安全じゃないな」
転がる石にこびりついた、血の斑点。
森の奥へは何かが引きずられたような跡。
ラウは矢筒に手をやり、一本をそっと抜いた。
「帰る?」
ミルルが問う。珍しく声が小さい。
「……いや」
ラウは目を細めて、奥へと視線を向けた。
「もう少しだけ、追う」
第三章:遊びの狩
獣道は、いつの間にか消えていた。
真新しく踏み倒された若木や草、それが唐突に途切れる。
思い出されるのは『木の上からこちらを見下ろしていた』という言葉。
ラウは樹上を見上げる。
木々は高く、影は深く、視界は狭い。
獣だけでなく森も息を潜めたままだ。
「……ここから先は気をつけろ。音を立てるな」
ラウは低く言い、静かに踏み出していく。
ミルルは木の枝から枝へと身軽に移動していたが、その動きも慎重だった。
彼女は本能的に知っていた――この空気は、“何かが潜んでいる”空気だと。
やがて、森の奥に開けた小さな沢に出た。
そこは、獣たちの水場として使われる場所で、
ラウのような狩人であれば“隠れて待ち伏せ”するのが常道だった。
だが今、その沢の端に――
あきらかに“何者かに裂かれた”獣の死骸があった。
「……鹿か?」
「頭が……ない」
ミルルが呟いた。
その通りだった。
鹿の胴体は残っているのに、首から上がまるごと消えている。
切断面は、咬みちぎられたような不揃いな裂け目。
「喉元を狙った噛みつきだな。力は強いが、狙いが単純だ。殺すのが目的で、狩りは遊びか?」
「たちのわるい殺戮者……」
ラウは、爪痕を見る。鹿の体に五本の鋭い線が残っていた。
「五本。前脚にしては異様に指の間隔が広い。大型の猿……?」
ラウの手が自然と矢へと伸びていく。
周囲の空気が、じわりと重たくなる。
そのとき、風が逆に吹いた。
ラウの鼻がひくりと動く。
血の匂いに混ざって、生きた獣の匂いが鼻を打った。
「ミルル」
「……うん。上に、いる」
ミルルの声が低く、緊張に震えていた。
ラウは矢を番え、いつでも放てるように弓を引く。
木々の枝の奥、
ゆっくりと――まるでこちらを“試すように”――
光のない二つの目が、こちらを見返していた。
第四章:逃げるか、撃つか
弓の弦がきつく張り詰める。
ラウの指先は微動だにせず、視線の先には光のない目。
葉と葉の隙間、その奥に潜む黒い影は、確かにこちらを見ていた。
風が止まる。
「……撃つ?」
ミルルが微動だにしないラウへ聞いた。
「まだだ」
「なんで?」
「アレはこっちの動きを見ている」
ラウは矢を引いたまま、半歩だけ左へ移動した。
その瞬間――
黒い影が“滑るように”枝から消えた。
見失いそうな、滑らかな動き。
ラウの体が反射で動く。
“そこ”に向けて矢を放つ――
ビシィッッ!
乾いた音が森を裂き、矢は影に追いつけず木の幹に突き刺さった。
「くっ……!」
「ラウ、あれ、地面に降りたよ!」
ミルルの声と同時に、ラウは弓を肩にかけ、剣を抜いた。
もう近い。気配が、迫ってくる。
「ミルル、逃げろ」
「え、ちょ――っ、ミルルも戦力になるやつだよ!?……たぶん!」
「いいから走れ。お前は速い」
「……ッ、わかったよ!」
ミルルはすばやく身を翻し、木の枝を滑るように駆けていく。
その体の軽さと反射速度は、確かに“逃げ足”において信頼できるものだった。
ラウは、沢の中央に立つ。
風が、またひとつ吹いた。
――それは、後ろからだった。
振り向きざま、ラウは剣を構える。
黒い影が、尋常じゃない速さで突進してきた。
それは熊のような体躯に、長い腕と、刃のような爪を持つ、獣とも人ともつかない猛獣。
ラウの剣が、ナイフのような爪の猛獣の手の平へ打ち込まれる。
だがそれを、奴は痛みもなく、無視した。
「……ッ!」
突進力をそらし、ラウは横へ転がる。
奴の方はその勢いのまま体を茂みへ突っ込み木の上へ姿を消した。
(やはりただの獣じゃない……)
立ち上がった時には、奴の走る音が死角から迫っていた。
ラウが覚悟を決め、獣が迫ってくるぎりぎりで体を獣の足の間に滑らせた。
立てるように持った剣が獣の下半身に刺さって衝撃で手から離れる。
手応えはあった。
が、それでも奴は動きを止めない。
「……ッ、化け物が……!」
至近距離で浴びた獣の血の臭気に、ラウは一瞬だけ眩暈を覚えた。
痛みに怒る獣の爪が、剥き出しになった大きな牙が、ラウの目の前にある。
「ラウ!!」
ミルルの声。
と同時に、頭上に何かが飛んできた。
乾いた音とともに、獣に“網付きの矢”が突き刺さる。
それは、ミルルに持たせた矢の罠。
獣の身体に網が掛かり、網を取ろうと暴れラウから注意がそれた。
「ッ、今のうちだ、逃げるよ!!」
ミルルが駆け寄り、ラウの腕を引く。
ラウは苦々しく歯を食いしばりながら、落ちていた剣を拾い、後ろを一度だけ見て、走り出した。
第五章:名もなき獣
村の灯りが見えたとき、太陽は山の端に沈みかけていた。
ラウは泥にまみれた衣を払いながら歩き、背後を何度か振り返った。
追ってくる気配は、ない。
ミルルは後ろからぴょんぴょんとついてきていたが、珍しく黙っていた。
「……あれ、なに?」
ぽつりと漏らしたその声に、答えはなかった。
ラウ自身も、わからなかった。
あれは獣か?
新種の化け物のような猿か?
それとも……別の何か?
ただ確かなのは――
こちらを“獲物”だと思っている。
帰ってきたラウを見て、村人たちは少しざわめいた。
服が裂け、疲れた様子。栗鼠の獣人は大人しく狩人にピッタリとくっついている。
それは“何かと出会ってきた”証拠だった。
ミルルは村の子どもたちに囲まれ話をせがまれると、「すっごいヤツが出たんだよ!」とすぐにいつもの調子に戻っていたが。
ラウは、それを遠目に見ながら村長の家へと向かう。
部屋に通され、状況を話すと、村長の顔色が目に見えて変わった。
「……ほう。そんなものが、本当に?」
「ああ。目が合った。明確に“こちらを狩れるか”見ていた」
「むぅ……そんな化け物じみた獣など、この山にいたかのう……?」
ラウは小さく首を振る。
「違う。この山に“来た”のか、新しく“生まれた”のか。どちらかだ。あれはただの獣じゃない。罠を破り、矢も剣も恐れない」
「…………」
村長はしばらく黙っていたが、ふと棚の奥から古い布の巻物を取り出した。
「うちの村には、こんな言い伝えがある」
巻かれた布の中に描かれていたのは、粗い筆致で描かれた“何か”。
黒く、四肢が長く、森の中からこちらに目を向ける影。
『名もなき狩り手』――
そう、墨で書かれていた。
「人を狩る獣が出たという話だ。これは昔、猟師が一人ずつ森に消えてしまい、恐れた村人が誰も森に入れなくなったと伝えられている。森からのぞく獣の目撃が絶えず、人も動物も見境なく、隙をみせればあっという間にさらっていくと」
「迷信か?」
「そう願いたい。……だが、お主の話を聞く限り、
どうやら今の森は“何かを産んでしまった”ように思える」
ラウは黙って巻物を見つめていた。
絵の目の部分――黒い点が、絵の中でこちらを見ているようだった。
「村の人間に被害は?」
「……今のところはない。だが、南の外れの森の前には、子どもたちが近づくこともある」
「ならば、まずは“追い返す”ことを考えた方がいい。倒せるかどうかは、まだわからない」
「……頼む。ラウ。金ではない。……助けてくれ」
ラウは立ち上がる。
「……あいつに森を追い出されるいわれはない。明日、また森へ入る」
夜。
ミルルは薪の上に座り、ぽつりと訊いた。
「怖くなかったの?」
「怖いさ。ああいうのは。 俺はただの猟師だ」
「……じゃあ、やめる?」
「無視はできない。 この土地を移って、あれがまた出たら尻尾を巻いて人里へ逃げ帰るか?」
ミルルは、小さくため息をついて、ラウの足元へちょこんと寄った。
「じゃあ、ミルルも明日ついてくよ。あれ、ぜったいひとりじゃ相手しちゃダメなヤツだもん」
ラウはそれには答えず、火の残りを見つめた。
第六章:再び森へ
朝霧が、森を包んでいた。
まだ日も昇りきらぬうちから、ラウは身支度を整えていた。
矢を一本ずつ先端に欠けがないか確認する。
剣の刃を研ぎ、革手袋を締める。
ミルルはというと、朝からテンションが妙に低い。
「……あんたさ、ほんとはひとりで行く気だったの?」
「いつも通りだ」
「違うでしょ。あれは“いつも”じゃない。ミルル、知ってるよ。仕事道具をあんな真面目な顔でずっと見てるなんて、ラウはもっと面倒そうな顔してるもの」
ラウは動きを止めた。
「……面倒そうにしてたか?」
彼にしては珍しくショックを受けた様子だった。
「少し表現を誤ったかもしれない。今日の顔はいつもより険しかった」
ラウの様子にミルルはお調子よく言いなおす。
「俺をどういう目で見てるかよくわかった」
呆れるラウに丸い目をくりくりとさせてミルルは続ける。
「今日もミルルは一緒に行く。見張り役でも罠の補佐でも、なんでもするよ。
……それが“商売仲間”の役目でしょ?」
ラウはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……なら、逃げる用意だけは忘れるな」
「任せて!逃げるのは得意だよ!」
ミルルはぽん、と胸を張る。ラウは自分で言った言葉に何とも言えない表情になる。
逃げ足の速さは生き残る上で明らかな長所だった。それに悪態を吐くのはラウのような“狩人”だけなのだ。
森へ入ると、昨日とはまた違った空気が漂っていた。
霧が重く、木々がざわついている。
ラウは無言で進み、ミルルは枝の上を静かに並走する。
途中、小動物の足音も聞こえるようになってきた。
昨日までの不気味な静けさは、やや和らいでいるようだった。
「戻ったな、気配が」
「うん。鳥も鳴いてるし、獣道も新しい匂いがする」
「どこに身を潜めたのやら……」
ラウは腰から筒を取り出す。
罠だ。
小型の糸引き起爆罠を、木の間にいくつか設置する。
「今日はこれを使う」
「……ほんとにやるんだね」
「やらなきゃ、やられる。仕留められなければ、次に狙われるのは“村”だ」
罠を張り終えた後、ふたりは木陰に身を潜めた。
霧は晴れはじめ、日差しが差し込んでくる。
ラウの指が、弓にかかる。
静かに、呼吸を整える。
“狩られる側”で終わらないために。
そのとき、森が一瞬――呼吸を止めたように静まり返った。
そして、草を踏む音がした。
ミルルがラウを見た。
ラウは、弓を引きながら目を細めた。
「来たな」
第七章:罠
それは、確かにこちらへ向かっていた。
草を踏みしめる音がいやに耳に響く。
ラウは茂みの中、目だけを細めた。
矢はすでに番えてあり、引く力も完璧に定まっている。
対して――ミルルは緊張で、尻尾がボワボワになっていた。
ミルルは、森の動物のように木の枝に張り付くように身を伏せている。
ラウの指がわずかに動いた。
森の中に置いた罠は、五つ。
中でも四番は、木の根の影に隠し、動物の通り道にかかるよう仕掛けてある。
音が、近づく。
ぬかるみを歩く湿った音――
そして――プツッ
引き糸が引っ張られ、罠が発動した。
ボンっと炸裂する光と衝撃。
続けざまに、飛び出したラウの矢が放たれる。
ピュウと森の空気を裂く音と共に、矢が獣の頭に刺さる。
呻き声は、ない。
頭から体から血を流す獣がラウを見る。
「ラウ、動いてるよ! あれ!」
弓を投げ出し、ラウは剣を抜く。
ミルルが上空から木の実を投げつけた。
それが命中して、ラウを見ていた獣の動きがわずかに止まる。
その一瞬――
ラウは飛び込んだ。
低く姿勢を落とし、剣を構え、
黒い獣の胴体の脇腹へ、真横から突き立てる!
刺さったと思った瞬間、化け物の腕がぶつかる感触と共にラウの体が薙ぎ払われた。
木の幹に、ラウの背中が叩きつけられる。
一瞬、視界が揺らぐ。
が、獣も動きを止めた。
剣が深く刺さったままになっている。
「……はぁ、ッ、ッ……!」
呼吸を整えながら、ラウは木の陰に隠れた。
ミルルは回収した弓をラウに投げ渡す。
「ラウ!!」
ラウは受け取ると、即座に番える。
視線は、じりじりと立ち上がろうとする獣の首――
シュッ――ズドッ。
矢が深く刺さった瞬間、黒い獣の身体が身動きを止める。
長い沈黙。
やがて、それは――重力に従って崩れ落ちた。
ミルルが木から降りてきて、ラウの腕をとる。
「……やった……よね?倒した、でいいんだよね?」
ラウは返事をせず、しばらくその黒い死体を見つめていた。
そして、小さく呟いた。
「……ああ、狩りは終わった」
狩りの成功を喜ぶには、苦々しさがあった。あまりにも凄惨過ぎたのだ。
けれど、少なくとも今は――
森に、静けさが戻っていた。
第八章:狩りを終えて
獣の死体は、昼を過ぎてもなお温かった。
ラウは近づき、剣を引き抜きながら観察する。
猿と人の中間のような顔、熊のような毛むくじゃらでタフな胴体。生き物を切り裂くのに特化したような爪。
「……やっぱり、普通の生き物じゃないよな、これ」
「ねぇ、もう動かないよね?」
ミルルが後ろから顔を覗かせ、そっと尻尾で死体をつつく。
それから目聡くそれを見つけた。
「……これは、牙?」
肩に埋まるように、“別の獣の牙”が突き刺さっていた。
ラウが剣で肩をえぐり、牙を取り出す。
すると化け物の死体は、微かにくぐもった音を出して揺れた。
まるで、最期に息を吐き出すように。
その音の後、死体は崩れて姿を失い、朽ちるように土へと還り始めた。
ミルルは驚き、ラウの頭に抱き着いて、ラウの顔は険しくなった。
日が傾きはじめ、鳥たちの声が空に戻りつつあった。
ラウとミルルは、静かな森を歩いて村へと戻る。
風が通り、葉を撫でるいつもの光景。
村の輪郭が見えてきたとき、ミルルがふとつぶやく。
「ねえ、ラウ。あの化け物は何がしたかったのかな?」
ラウは一瞬だけ足を止め、ミルルを見る。
「……さぁな。獲物の気持ちは狩人にはわからんさ」
ミルルは静かに笑った。
村では、子どもたちが焚き火を囲んでいた。
ラウが帰ったことに気づくと、走り寄ってくる声がした。
「おかえりー!」
「ラウ、狩り成功ー!?」
「ミルル、なんか持って帰ってきた!?」
ミルルは誇らしげにポーチをぶら下げてみせたが、中身は――
乾いたキノコと、壊れた矢尻と、森で拾ったよくわからない石。
「ラウは? なんかすごいの持ってないの?」
子どもが訊くと、ラウは少しだけ考えてから答えた。
「……ミルルが黒い獣の狩りの話をしてくれるってさ」
「ミルルーーー!!」
子供たちがまたミルルに群がっていく。
「ひどいよラウ! こっちだって疲れてるのに!」
笑い声が広がった。
夜。
ラウは軒先に腰を下ろし、火を見つめる。
ミルルは丸くなって眠っていた。
尻尾がゆっくり揺れていて、夢の中でもちょろちょろしていそうだった。
風が吹いて、森の匂いが運ばれてくる。
この場所に、今日もまた命がある。
それだけで、狩人にとっては十分だった。
〈終〉
※この作品はフィクションであり、実在の人物や団体とは一切関係ありません。






