※この作品には、一部グロテスクな表現やホラー要素が含まれています。苦手な方は閲覧をお控えください。この作品はフィクションであり、実在の人物や団体とは一切関係ありません。

◆あらすじ
大学生のレンは、アルバイト先の古本屋で不思議な文庫本を見つける。その本は、レンの記憶の奥底にある懐かしい香りを呼び起こした。幼い頃に嗅いだことのあるような、甘く、どこか切ない香り。レンはその本に惹きつけられ、何度も読み返すようになる。しかし、本を読み進めるうちに、レンの周りで奇妙な出来事が起こり始める。本の中で描かれた匂いが、現実世界に現れ始めたのだ。
※! ※以下の内容が含まれます※! ※
ホラー、本、匂い、バッドエンド、怪奇現象、短編
◆匂いのする本
古本屋の店内は、いつもどこか乾いた埃と紙の匂いが漂っている。
大学生のレンは、アルバイトとしてその小さな古書店で働いていた。老夫婦が営むその店は常連も少なく、昼間は時間がゆっくりと流れる。
ある日、奥の在庫棚で手入れされていない箱を整理していたレンは、一冊の古びた文庫本に手を伸ばした。触れた瞬間、ふわりと甘く、懐かしい香りが鼻先をかすめた。
それは幼い頃に嗅いだことがあるような、けれどはっきりとは思い出せない匂い。
いちご味のキャンディ、大きな丸い石鹸、野に咲いていた花――混ざり合った香りが、胸の奥にノスタルジーを打ち込んできた。
レンはその本を手元に置いたまま、帰宅後も何度も読み返すようになった。物語は日記のような形式で、どこか不自然に断片的だったが、なぜか読み進めるほどに匂いが強くなる気がした。
数日後、奇妙なことが起こる。
小説の中で描かれていた“古い映画館の匂い”が、ある夜、レンの部屋に漂った。読んでいないときでも、部屋の隅から香るように。窓を閉めていても、外から香りが染み込んでくるようだった。
レンは思った。
この香りは、本が原因なのではないか? そう思う疑問より先に、ページをめくる手を優先する。
読み進めるほどに、香りはより複雑になっていく。
“誰かの汗”、“濡れた絨毯”、“病室”、“消毒液”、“燃えかけた髪”――香りが混ざり合い、甘さの奥に腐った何かが顔を覗かせ始めた。
やがて、本の紙面にわずかにしみが浮かぶようになった。触れるとべたつき、鼻を近づけると、強烈な腐敗臭が立ちのぼった。
それでも、レンは本を手放せなかった。
香りは記憶と結びつき、まるでそれを読み解くたびに“誰かの人生”を嗅ぎ取っているような感覚すらあったからだ。
部屋の空気は次第に変質していった。換気をしても意味がなかった。服にも、布団にも、肌にも、甘く腐れた匂いが染みついていた。心配する友人が訪ねてくるのを拒むようになり、バイトにも行かなくなった。
ある朝、目を覚まして本を開いてみると、ページが白くなっている。
どのページも、べったりと匂いのついた紙だけが残されていた。
そしてレンの部屋には、何かがいた。姿は見えないが、確かに“誰かの匂い”がすぐそばで呼吸していた。
その香りは、あの本の匂いと同じだった。
何かが手をつかみ、レンの指を本のページに押し当てる。
滑る指が文字を浮かび上がらせる。青年が働いていた“古書店”の匂いが強くなった。
数日後、近所の人が異臭に気づき、レンの住んでいた部屋の鍵を管理会社が開けた。
中に人影はなく、部屋の隅に本が一冊、ぽつんと置かれていた。
異臭に誰もが顔をしかめる中、それを開いた作業員の一人が、うっとりと目を細める。
「……いい匂いがする」
〈終〉






